今日はなんかダメだった。
2歩進んで2歩下がってる気がする。ぷー。
仕事してねー。
うちの会社で仕事してないやつワースト10に入るんじゃないだろうか。 少なくともエントリーされているような気がする。
そういや、なんかテレビで誰かが「努力のセンスが無い」って言われて ハッとした事があるって言ってた。また、別の番組で小野ヤスシが「な んでもできるけど、なにもできないのが自分の弱点」みたいな事言ってた。 そして、これはいわゆる器用貧乏ってのとはちょっと違うと思う。
僕にはこの人達が言ってることがすごく分かる。 こういうのって、「俺はなんでも出来る」という自慢に取られがちだけど、 本人たちは深刻に悩んだ事があるんじゃないだろうか。
世の中の大抵の事はどうでもいい事である。それはつまり、極める必要が 無い物事の事であり、たとえばあんまり本気ではない趣味、ちょっとした仲 間内でのゲームから日常会話のちょっとしたユーモア、毎日の料理 の腕前までとにかくありとあらゆるどうでもいい事(=極めなくても生活の大勢に 影響なし)を指す。
何でも出来る系の人ってのは、こういう事の大部分を自然に器用にこなす ので、小さい頃からなんでもちょっとだけ人並み以上にこなして「賢いね、 偉いね」と誉められ可愛がられて育っているので、性格も変に曲ってなく て、周囲の人にも「あいつは結構スゲー」なんて好かれたりして、周りから みてもいい感じで育っていってたりする。
小さい頃はそれでもいい、別に何事かを極めないでも生きて行ける。 どうでもいい事が割と大事だったりするからだ。 だけど、高校に入ったあたりから、部活動、勉強など他人と勝負する 必要が出てくる。これらの「どうでもよくない」勝負事に関して、ある レベル以上に達しようとすると何でも出来る系の人も努力が必要にな ってくる。その勝負事に関しては、ユーモアのセンスも会話のセンス も必要無い。必要なのはその一つの事に関して、センス(才能)とそれを磨く努力だ。
はじめの数歩は人より早い。たとえば2年生の夏までは周りと同じだけの 努力で誰よりも優れている。だけど、そこから先には進めない。素人最強 にはなれても玄人の中レベルからは進めない。
努力しているつもりで出来ていない、あるいは、努力しようと思っても 努力出来ない。それは小さい頃から努力無しでチヤホヤされてきて努力する 方法を知らないからなのか、それとももともと「努力する」という才能、 センスが無いのか。
努力するつもりが無くてセンスを生かせず才能を磨ききれないのは、 自業自得なのででどうでもいい。
この人達が悲しいのは、ほんとに極めたい事が見つかったときに本人の 焦りとは別に自分が前に進む術を知らない事だ。
自分はいままでどおりそれなりに頑張っているのに、周りのやつがなん となく自分に肉薄してくる。本人は焦ってどうにかしようともがき、努力 しようとするが、そのもがく事が必ずしも前に進むことに結びつかない。 本人は努力しようと努力しているのだ。しかし、悲しいかな努力が出来ない。 努力のセンスが無い。努力の方法を学ぼうにも、そんな事ははるか昔に自然に 身につくものであって誰も教えてはくれない。
周りにそんな焦りを相談しても、真剣に聞いてくれる人なんかいない。 「みんなそうだ」「甘えるな」「努力が足りない」と言われるのがオチだ。 それどころか陰で「あいつは出来るのにやらない」「サボっている」「 俺たちをバカにしている」とまで言われてしまう。
やがて大人になって、様々なエキスパートの集合体に参加する。 自分はその集合体の中でどのエキスパートの分野に関してもそのエキスパートの 次に詳しい。別の分野に関しても同様に、全ての分野に関して、その分野 のエキスパートの次に知識、技能を有している。
そうすると全員からあいつは出来るやつだ、なんでも出来る、と思われる。 だけど結局のところ自分の得意分野に関しても真のエキスパートには劣る。 ある日、ふと周りが気がつく、アイツは要らないんじゃないかと。
僕が大学2年のとき、この人みたいなのを天才って言うんだろうなと尊敬 していた教授の授業に遅刻した時にこう言われた「マジメなのも才能だよ」と。
天才ってのは、ある事そのものに対するセンスと努力のセンスとを兼ね備 えた人の事を言うんだなと思った。凡人は努力すればいいが、中途半端な 才能を持つ人間はその努力も出来ない、一番可哀相な人かもしれない。